「お前はお前でしかないがどうあがいても男と呼ばれる」
これは過去に別の場所に投げた文章である___
まとまったものを書くこと自体には慣れているが話題が話題であるがゆえに非常に不本意ながら断りを入れておきたい
- 正直世間の流れと逆行している上に、逆説的な言い回しが多すぎる気がしている。流石に物議を醸しうるポイントは丁寧に書いたつもりではある。
- よって不快に感じると言うか思想信条、アイデンティティにそぐわないと思う人のは多いだろうと思われる。どうしても一方的な、主観的な見方しかできていないもんで…
- そんな程度で嫌いになるのも癪なのでとりあえず読んでやるかって人、なんなら思索をぶつけてやろうかって人には向いている
よく私は「自分はどう足掻いてもおっさんだから」という言い回しを使う。精神年齢の部分を引き算すれば「自分はどう足掻いても男だから」となる。
なんかこう最近の(ここ数年くらいの)ゆるふわ多様性議論というものが本当に気に入らない。気に入らないといえば感情的かもしれないが直感的に間違っていると感じるということである。
具体例を出した方がいいだろう。LGBTに理解を示そう、みたいなアレの話である。これの問題としてはまず第一にそんな4類型だけで割り切れんのかっていうことである。LGBTTQQIAAPなんて言葉もあるらしいし、LGBTQ+という表現自体からしても類型化を放棄していることがわかるだろう。どんなけ新しい区分けを提案してもそこから漏れる人は居るわけで、結局人の数だけ細分化されるしかないのである(むろんこのようなスローガンとしての存在に救われる人は居るんだろうけど)
もう一つはこの中に現れていない指標について放置されているように感じるということである。「別に男だし、男と思っているし、恋愛対象は女だけど、それはそうとしてかわいくなりたい」って人が本来居てもいいわけで(実際居るし)、しかしそれを気持ち悪いとか思ってしまうことになっていないだろうか。「その多様性は認めない!!」っつうならそれは本末転倒ではなかろうか。(そもそも多様性を認めるということは自分の気に食わない存在が実在することを認めることということを理解していないんだろう)
じゃあどうすんだってことだが、もう多様性の種類の数を数え上げるなんてことを放棄した方がいい。個は個でしかない。最早男/女の二元論だけで充分じゃないか(この考え方がマジョリティの(人)数に物言わす思考だと言われたらもう僕にはどうしようもない、まあ落ち着いて続きを読んでほしい)。だって元々100%典型的な男も100%典型的な女も居るはずがないんだから。「んまあ多分男なんだろうな」っていうくらいでいいはずなんだろう。「でも自分はここが違うし、こういうところは『らしく』ねえな」って感じりゃいいわけである。
つまり自分に当てはめれば「お前はお前でしかないがどうあがいても男と呼ばれる」てことになってお題になるわけ。
(補足:「男なら泣くな!」とかいうテンプレは時代錯誤だっていうけど、とりあえずそこ起点から始まればいいんじゃねえの、とは思う。その方が楽だし、悩むのはそれからでいいんだろう(少し言語化が甘いのは堪忍))
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