「京急蒲タコハイ」弾圧を許してはならない
これは鉄道趣味というより、法学徒として書いているのかもしれない。サントリーと京急電鉄のコラボで、京急蒲田駅でタコハイを呑むというイベントがあるそうだ。
「こだわり酒場のタコハイ」×京急蒲田駅 京急蒲タコハイ駅誕生!
内容としては駅名看板の変更、蒲田駅2番乗り場での酒場企画、周辺の店とのキャンペーンなどである。そういえば京阪中之島駅でもホームで酒場を開くというとをやっていたような記憶がある(ニュースリリース)。
京急の企画は5月18日からやっているわけだが、にわかに話題になったのは特定非営利活動法人ASKと主婦連合会による申し入れである(リンク)。内容を見てみれば下記のようである。
・駅名看板等の「京急蒲タコハイ駅」への変更とホームでの「京急蒲タコハイ駅酒場」開催の中止を求める
・アルコールは単なる嗜好品ではなく、含有されているエチルアルコールには、致酔性・依存性・発がん性・胎児毒性などさまざまなリスクがある。厚生労働省から「健康に配慮した飲酒に関するガイドライン(厚労省報道発表資料)」も出ている。
・交通広告への自主規制(リンク)もあるほか、交通機関の公共性と酒類の特殊性の根本がある
・鉄道は、乗客の安全を最優先にしていただきたい
というものである(一応ASKのHPで京阪と調べたが1件もヒットしなかった)。
なるほど、一見すると合理的である。しかし、本当にこの理由で広告の撤回、イベントの中止を求め、結果として一部縮小に至ったというのでいいのだろうか?
サブカルチャー含めメインストリームではない文化は時として表現が不適切であるとして弾圧・撤回要求を受けてきた。例えば赤十字社の献血キャンペーンで『宇崎ちゃん』ポスターが環境型セクハラだ、性の商品化だと糾弾されたことは記憶に新しい(リンク)。このときも、コンプライアンスがどう、ガイドラインがどうということを申し述べる人々(特にフェミニストと称する者)が居たわけである(参考)。あるいは松戸市の交通啓発のキャラクターでもいい(President)、三重交通の公式キャラクターの件(三重交通HP)でもいい。
およそ表現は批判を浴びるものである。当然特定の表現に対し、不快だ、不適切だと非難することも在っていいわけだし、発信する側はそれを容れなければならない。しかし、表現すること自体をそもそも押し込めるというのはこれとは次元が異なるわけである。表現の自由は民主主義の根幹であるとまで言わなくとも、そもそも発信を許さないということは、その次の行動もできないわけである。
公共性があるとか、ゾーニングしろという人も居る。先ほどの『宇崎ちゃん』の批判記事に曰く、
もっと穏当な絵柄をポスターにして、「献血していただいたファンの方には特製クリアファイルを差し上げます」とでも書いておけば想定のファンには意図はちゃんと伝わっただろう。
https://gendai.media/articles/-/68185?page=3
しかし、ゾーニングするというのは結局表現・発信をさせていないということである。そもそも発信されていることに気づけないのである。内心が自由だから良いんだという問題ではないのである。何ならゾーニングされていても、そのゾーニング先にまで踏み込んで批判を受けてきたところである。存在していることを許したくないだけなのであろう。
エロだけなら、多少エッチなものだけ批判を受けている分にはと思っておられる方も居るだろう。しかし今回また同じ論理で、公共性だ特殊性だと言って今度は酒に来た。そのうち、他のことにも及ぶだろう。「政治と宗教と野球の話はしないほうが良い」というが、今度政治主張を堂々とすれば「公共性が!」という人も出てきかねない。ここまでくればまさしく思想弾圧である。しかし、その期に及んで弾圧だということはもはやできないのである。だから、表現規制は一歩目から非難し続けなければならないのである。
はっきり言おう、公共の場は公共の場であるからこそ自由な発信が認められるのである。まさしく不快原理を用いているあなた方が謳歌しているのと同じ自由である。そしてオタクども、怯むな。
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