第1回 Twitterで空想旅行

2024年4月26日ポケット時刻表

【ルール】
・1人1列車のみ、連続での指定は不可
・前の人が言った列車から乗り換える駅と次に乗る列車を指定
・曜日に注意(7日を越えたため急遽途中から設定)
・同じ列車に2つのリプがあった場合は早い方を優先

最終的に149の交通機関(鉄道、バス、飛行機に乗ったようである)。リプライをくださった方々のTwitterIDを掲出して感謝の意を表したい。(つなげ始めた順で記載)
榛原民【D45】 さん (@For_haibara)
かく さん (@kaku_A20)
旅できないMR29 さん (@R29_NK47_OTS)
五位堂 さん (@_7611122)
卐・マハール さん (@soutetutekkenn)
旅したいみちてつ さん (@michitetsu_skri)
浅野ドットコム さん (@asanocom2018)

では1日目から見ていこう。誰が書いたかを気にせず旅程だけをみて突っ込んでいきます。多分見たらわかるが、なぜこのようなルートになったと疑問に思うだろう。知らん。誰もわからん。その場のノリがこの旅人を翻弄したのである。因みにダイヤ改正諸々でこの通りの実行はほぼ不可能なのでその点はご承知おきを。旅程の画像はクリックで拡大できます。(有料特急、新幹線を太字桃色、飛行機を水色表示)

1日目 水曜日
朝の新快速からスタート。旅人はなぜか西明石で降りて新幹線へ。2時間半かけて新岩国へ(いったんひかりに乗り換えれば1本早くつくことにも旅人は気づいていない)。岩徳線に出たあとは山陽線をそのまま下り新山口へ。山口線を北上した後、鋭角に折り返して山陰本線を下関方へ。長門市で1時間半ほど待って美祢線の最終で山陽側に出る。新幹線で九州にわたり、ソニックで行けるところまで行く。

2日目 木曜日
中津駅を昨日の乗車から5時間半で旅を再開。大分に出て朝ごはんでも食べるのだろうか1時間待つ(なら日豊本線を遅らせることができるのは旅程を組むのにどうしようもなく)。九州横断特急で熊本へ。そのまま九州新幹線のフラッグシップ、みずほ号へ乗車。新大阪からは特急こうのとりで谷川へ(いったん柏原まで行き折り返す)。加古川線を下り、京都へ。大阪駅を通り過ぎたがまだ旅は始まったばかり。しかし新幹線に乗ったかと思えば近鉄特急で難波へと翻る。何かを思い出したかのように…。画像1

3日目 金曜日
朝いちばんの南海特急ラピートで関空へ。そのまま飛ぶ先は仙台。仙山線と陸羽西線で東北地方を横切り、いなほで新潟へ。疲れがたまったからか新潟空港18時過ぎで終了。今日はゆっくり身体を休めるようだ。

4日目 土曜日
新潟空港からANAで新千歳へ、なぜか南千歳を快速エアポートとバスで往復。21分で搭乗手続きを終え(注釈:実際には不可能な旅程です。この往復を省略するとちょうどいい感じです)、稚内へ。空港バスで稚内駅に着くと昼飯を食べて特急サロベツへ乗車。しかし、また1駅で降りると宗谷バスで稚内へ戻る。改めて特急宗谷で名寄に向かうこととなった。
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5日目 日曜日
JRバス深名線で国鉄時代の跡を偲ぶ。また昔ながらの滝川経由で道東へ抜ける。北海道の広さを感じる1日となった。

6日目 月曜日
釧路空港から一路羽田へ。特急ときわで水戸へ出ると鹿島灘沿いの夕景を堪能しつつ銚子へ…と思いきや1駅手前の成田線と総武線の分岐点松岸で折り返し、途中止めの電車にあえて乗ってみたり、モノレールに乗ってみたりとやりたい放題。最後は総武緩行線で西船橋から新宿まで。国電を感じようとでもしたのだろうか。
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7日目 火曜日
そろそろ疲れが出てくる頃だがまだまだ楽しみたい。小田急に乗って海老名まで出たら、首都圏を大きく囲む相模線と八高線を乗り継ぎ高崎へ。日本海側の特急、新幹線や旧信越本線の第三セクターなど多様な性格の電車にひとしきり乗って富山へ、そしてひだで名古屋へ。新大阪まで出たはいいがそのまま帰るのも嫌になり、国電区間の終電に乗りたくなり西明石へ。わざわざ新快速を見送り終電に乗る。三ノ宮で寝台特急の文字を発車標で見ていてもたってもいられなくなり飛び乗る。乗って後悔。

8日目 水曜日
目が覚めたら東京。もう諦めて旅を続けることにしたよう。思いつくままに函館まで行き、その勢いでまた新千歳空港へ。松山へ向けてLCCが出ていたので乗ることに。そのまま宇和島へ。理由は知らぬ。

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9日目 木曜日
単純に折り返すのも癪なので高知に出ることに。高知市内を昼間楽しんで一路岡山へ。折角なので津山まで寄り道するだけの元気はまだあったようである。

10日目 金曜日
中国山地の鉄道と初日に乗らなかった山陰本線の区間へ。ぐるっと一周しちょっと早目に津山に戻る。
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11日目 土曜日
大阪行きの文字を見て高速バスに乗る。でも北条鉄道の交換設備を見たかったから降りることに。新開地まで出て関西私鉄の雄、阪急電車に乗車。空港行きのモノレールを見たがあえて逆向きへ。交野線を往復し京阪本線を更に上る。丹波橋で近鉄特急に乗り継ぎ、大阪線の急行に乗りとしながらなんやかんやで亀山へ。名鉄に乗りたくなり遠回りしながら名古屋へ。横浜まで新幹線に乗るも次いつ来れるからわからないからか終電間際で乗りまくる。
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12日目 日曜日
始発まで4時間までしかなくあまり寝れていない。もう一回北海道へ向かいまた釧路へ行く。何かを思い出したのか。
13日目 月曜日
前は根室本線を滝川から乗ったので今度は高速バスだそうである。函館本線の山線も乗って東北に戻り北上へ。

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14日目 火曜日
北上からミニ新幹線に挟まれた区間の奥羽本線に乗ってみる。そのまま新幹線で大宮に向かったつもりが時間を勘違いしていたので急遽予定を変更。何とか予定通りに敦賀に着いたものの、旅人はどうやら頭がもう既に回っていないようである。
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15日目 水曜日
敦賀から名古屋に出て紀伊半島を特急で一周する。まだまだ旅を続けるつもりで和歌山線に乗ったものの、吉野口で近鉄特急の文字を見て「大阪阿部野橋」の文字を見てもう心が折れたようである。
(参考までに特急ではなく各停に乗るルートも作ってもらいました。もしこう移動していたら古市から河内長野に行ってまだ続いていたかもしれません)
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