【論考】ポストシティ電車と公共交通のリデザイン
もともとシティ電車の功罪を考えるという話だったのだが、書こうとした時からすると時間が経ってしまったような気がするので、少し考えを改めたい。また、まだまだ検討段階の理解であるため、コメントでの議論をお待ちしています。
「シティ電車」といえば、東京・大阪の国電の高頻度運転を地方にも波及させることを目的に全国に普及したものである。いわゆる「汽車ダイヤ」、長距離運転で優等列車に追い抜かれしと、不定間隔の運転と対比される概念であると言える。その特徴としては
・高頻度、等間隔運転
・短編成運転
・列車のスピードアップ
・駅の増設
辺りと言える。例えば山陽本線広島ー岩国間の毎時6本ダイヤなどはこの最たる例だった。現在でも全国各地でこのようなダイヤが実施・整備されている。例示すれば札幌・仙台・新潟・名古屋・北近畿・岡山・広島・福岡などの地域で実施され、近年では播但線や、土讃線高知付近、徳島周辺の各線などでも実施されている。
とはいえこの「シティ電車」ダイヤ、そろそろ考えることが増えているのではないか。これは国鉄民営化の現行体制見直しが大きな、巨視的な視点の問題として、微視的な問題として各線区ダイヤの問題があると言える(※非電化区間に対しても「電車」の語を使う、ご容赦願いたい)。
作って、崩されるシティ電車
よく指摘されることだが、シティ電車型ダイヤを「崩す」動きというのは散見される。例えば姫新線(姫路ー余部・播磨新宮間:リンク)や播但線(弊記事)、白新線(リンク)、そのほか山陽線岡山・福山エリアなどもパターンダイヤを諦めたダイヤ編成になっている。本数を減らしたり、区間を短縮しているものでいえば、山陽線全般や、赤穂線、JR九州の各線など枚挙にいとまがない。他方でダイヤを再編成してなんとかパターンダイヤを行おうとする区間もある。例えば東北本線、常磐線などがその例であると言えよう(リンク)。
また、シティ電車がやや大盤振る舞いだったとする理解も可能と思われる。シティ電車の嚆矢たる山陽線(広島ー岩国間)は当初10分に1本の運転であったが、今や大野浦まで15分間隔、岩国まで30分間隔と拡げるに至っている。また、JR西日本が2021年以降に実施した減便においては、朝ラッシュから終電附近まで30分間隔を維持していた路線で、昼間の運転間隔を広げるような例がほどんどであった。
取り残された線区
次にそもそもシティ電車型ダイヤが導入されなかった区間はかなり苦境を強いられている印象がある。1時間に1本程度の運転ではあるものの、わずかに足らないような路線などは相当な減便がなされているように思われる。山陰線(園部ー福知山ー豊岡、浜坂ー鳥取ー米子ー出雲市)はその例であろうと思われる(高速化事業などが行われたにも関わらずである)。これらについてはもう少し詳細な分析を行っているので、参照して頂きたい。
また、それ未満の線区、すなわち片道おおよそ10本程度以下の線区については概ね、沿線人口の減少以上の利用者数の減少が見受けられる。例えば芸備線(庄原ー神代)間は沿線人口が67%になったのに対し、利用者は12%になっている(リンク)。利用者数が減れば、その分運転本数を減らすというスパイラルが起こっていることは言うまでもなかろう。
なぜそのようなことが起こったのか。既に国鉄民営化のタイミングで枝線に当たるような線区は概ね取り除かれていることを考えれば、これら線区は路線網として幹の部分に当たるはずである。すると大概の場合、急行が運転されていたような線区である。長距離輸送から地域輸送への脱却が図れなかった線区と評することも一応可能であろう(短絡的な理解であることはご容赦願いたい)。
では赤字だからといってすぐに失くしてしまうというのが是となるか。これはかなり無茶である。例えば日立交通線の廃止、京福電鉄の運休などがそのわかりやすい例かと思われる。概ね輸送密度2000人以下であると中々黒字は達成できないものの、通勤通学需要その他包括的な需要を担っているゆえに軽々に廃止することが社会のためにならないのは直感的に理解できるだろう。
公共交通のリ・デザイン
国土交通省が言っている「地域公共交通のリ・デザイン」とこれらの話を結び付けてみようと思う(リンク)。官民共創・交通事業者間共創・他分野共創という視点が特に役に立つかもしれない。地域公共交通が事業者単体で成立するものではなくなっているということが出発点になっている。これは特に明治以来の「鉄道=儲かる」イメージを打破するものになるといえる。公共交通機関が社会インフラであるにもかかわらず、民営に任せるか、国有したとしても独立採算で維持してきたスキームはもはや維持不可能である。そうでなければ、協議運賃制度も採らなければ、交通モード間のフィーダー化もおよそ不可能である。
シティ電車が長距離輸送の使命を失った公共交通として事業者がその経営努力として単体で維持するための施策であり、それなりに奏功してきたことを踏まえれば、それ以外の取り残された線区にとって、公共交通のリ・デザインというのは最後の頼みの綱となるのかもしれない。
他方、シティ電車区間にとってもその見出されるべき意義があると思われる。特にフィーダー交通の面は大きいが、それを除いたとしても鉄道事業者の自助努力・競争という面から脱却すべきなのではないだろうかと思われる。
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