太平洋フェリー乗船記 【仙台→名古屋】

2024年8月24日未分類

夏休みに仙台に滞在していたわけだが、そのまま新幹線で、鈍行で、あるいは飛行機で帰るのは能がないと考えてしまった。今回はフェリーに乗ったというお話。
旅の始まりは仙台駅。少し時間があったので仙山線ホームなどを少しふらついたり、Suicaを買ったり船内で飲む酒を買ったりする。仙石線ホームに降りて石巻行に乗る。20分ほど揺られると中野栄駅に着く。駅前でバスを待つ。実はこのバス仙台駅発なのだが、仙台から乗ると550円、他方中野栄で乗るとJRと合わせて390円。流石に差額が大きすぎるのでこの通り乗車した。


↑中野栄駅にある案内。アウトレットも近い。


実際バスはそれほど混雑している様子ではなかった。11時50分に仙台港に着く。乗船手続きは60分前までに済ますべしというのだが、少し待ってくれていた。決済に使ったカードを提示すると乗船券が手に入った。

↑でけえ。


売店でつまみや持ち帰る酒などを買っていると乗船開始の案内が。早速乗り込むとフェリーというより客船というべきほどに広々としたエントランスがあった。

↑吹き抜け。

↑7デッキから下を映した様子。もうちょい良い撮り方なかったのかね…


今回選んだのはB寝台。2等の直上である。ネット予約で8,700円(定価9,700円)だが、早めに予約すればもっと安く乗船できたらしい(予定が決まっていたので仕方あるまい)。1部屋14個の寝台があり、下段同士、上段同士で向かい合わせに入口がある。同じ部屋にはもう一人乗り込んでいた。つまりB寝台の乗船率はそこまで高くない。

↑コンセントはついている。枕と掛け布団が奥にある。おそらく180cm以上ある人はちょっとしんどいかも。


いよいよ出港というところで焼きそばを買い食らう。苫小牧からの航行であるため、北海道ご当地のものも売店に備えられていた。旅の疲れもあったので少し寝て屋外に出て潮風に当たってみる。

↑天気晴朗なれども波高し、いや波も穏やかでしたね


峠の力餅を昨日買っておいたので食らう。当然おいしいのだが、やはり出来立てにはかなわないようである。

↑板谷峠で頂くのが一番よいのでしょう。


昨今の伝染病のこともあり、軽食コーナーは休止、ピアノ演奏も休止となっていた。(レストランは普通に営業していた。)
日の入りの時刻に合わせて外に出てみる。夕焼けが沈み切るまでぼーっとする時間こそ船旅の醍醐味であろう。

↑夕焼け。泣きそうになった。

↑船に乗ってます感。


夕飯に向かう。船の飯は美味しいと聞くので期待して向かうと種々のバイキング形式となっていた。ビーフステーキはインジェクションミート、つまり牛脂注入肉である。むしろ珍しいので少し多めに食べてみた。最上等のとこだけは席が事前に取ってあった。どうやら老夫婦が乗っていたようである。

↑野菜も新鮮であった。食いすぎには注意。


因みに船内は有料wifiが整備されているため電波は通じないのだろうと思っていたら、意外と通じたようである。きけば八戸以北は沿岸から離れるために通じないらしい。

↑日付変わる前のものだが、充分電波が入っているのがわかる。


浴場があるというので入ってみる。船体揺れるためにかなりグリップが利くような床面だった。

↑流石に中は映せませんでした。


寝る前に仙台で買った酒を飲む。時間がゆったり流れているというのはまず間違いないだろう。
さて翌日起きてみる。寝台のカーテンはストッパーがあるのでそこで止めておく。半開きにはできない。ここまでエチケット袋の世話にはなっていない。無論揺れていないからである。
朝飯もバイキングだった。カレーライスもあった。やはりうまい。
その日は学生が一番憂鬱な日こと、成績開示だった。電波が届かないと思っていたので陸上で見ようとしていたら電波が通じてしまったので恐る恐る見た。
売店が開いてる時間の最後だったのでもう一度見てみる。廃盤海図のメモ帳と便箋を買ってみた。

↑猫。


そうこうしていると名古屋港が近づき下船の準備に入る。予定1時間前には既にドライバーは列をなしている。金城ふ頭の陸橋が見えてくる。

↑こうなってからが長い。


船を降りてみるとやはりその大きさを実感する。

↑やっぱでけえ。

少し早めに着いたからまじまじとその姿を眺めることができた。フェリーターミナルはそれほど何もない。フェリーは19時の出港のために準備を整えるのであった。市バスに乗って都心に向かう。
この先はまた別の機会に...